【巵言日出(しげんにちにづ)】〜「寡黙さ」「控え目さ」が武器になる〜

20年間の営業で気づいた「商談がうまくいく法則」

私はこの20年間、自ら新しいサービスを創り、その営業の最前線に立ち続けてきました。

新規領域の顧客開拓は常に「初対面」の連続であり、そこには常に緊張感が漂います。
その膨大な数の商談を経て、私はある一つの、決定的な「商談がうまくいく法則」を確信するに至りました。

まず、「負けパターン」です。

それは、私が必死になってサービスの内容を説明し、緻密なロジックを組み立て、相手を説得しようと質問を浴びせている時です。
こちらのターンが長く、相手のターンが短い。
熱心に語れば語るほど、相手の反応は薄くなり、心は離れていく。

かつての私は、この「饒舌な敗北」を繰り返していました。

一方で、「勝ちパターン」は、その真逆にあります。
それは、私が驚くほど「しゃべらない」時です。

相手の話に「はい」「そうですよね」「わかります!」と、ただ深い相槌を打つだけ。
こちらの言いたいことを伝える隙すらなく、時間が過ぎていく。

ところが、商談が終わる頃には、なぜか「あなたは私のことをよく分かっている」と信頼を寄せられ、契約はトントン拍子に進んでいくのです。

なぜ「寡黙さ」「控え目さ」が勝利を呼ぶのか?

その疑問に答えてくれているのが、2000年以上前の哲学者・荘子が残した「巵言日出(しげんにちにづ)」という言葉です。

「巵言」(しげん):空っぽの杯が、場を支配する

「巵(し)」とは、お酒を注げば満ち、空にすれば傾く、絶妙なバランスを保つ杯のことです。
そして「巵言」とは、あらかじめ決められた自論(固まった器)を押し通すのではなく、相手やその場の状況に合わせて自然に溢れ出る、偏りのない言葉を指します。

商談や交渉において、多くの人は「自分の正しさ」や「製品の優位性」という重い器を持って相手の前に立ちます。

しかし、それでは相手の言葉が入る余地がありません。

人は、自分の気持ちを吐き出し、それを受け止めてくれる相手にこそ好意を抱きます。
たとえ相手の言葉に論理的な矛盾があっても、つじつまが合っていなくても、それは問題ではありません。

大切なのは、「自分の存在が肯定され、器(杯)が満たされた」という満足感です。

自分の小さな正義やロジックという「固まった器」を捨て、空の杯(巵)になって相手の言葉を受け止める。
その「空(くう)」の姿勢こそが、結果として誰よりも強く、深く人を動かすのです。

「社交性のなさ」という武器

ここで、私の個人的な話をさせてください。

実は私は、どちらかというと物静かで社交性のない人間です。
多くの人が集まる場所は今でも苦手ですし、濃すぎる人間関係にはすぐに疲弊してしまいます。

世間一般のイメージでは、営業職やコンサルタントは「外向的で、誰とでもすぐに打ち解け、人脈を広げるのが得意な人」の仕事だと思われています。

かつては私も、自分の内向的な性格を「克服すべき弱点」だと考え、無理に社交的に振る舞おうとした時期がありました。

しかし、社会人になってから30年。
気づいたのは、「苦手を克服する必要はない。むしろ、素のままで歩むことにこそ勝機がある」ということでした。

社交性がないからこそ、私は相手の話を遮って自分の話をすることができません。
物静かで控え目だからこそ、相手は安心して自分の内面を吐露してくれます。

「なんで、お客様は君にはそんなに教えてくれるの?」と上司に言われたことも、何度かあります。

私が「空の杯」になれたのは、社交的でいからです。

自分の弱点だと思っていたものが、実は「巵言日出」を実践するための最高の武器だったのです。

無理をしない、という戦略

ビジネスの世界では「誰にでも合わせられるのがプロだ」と思われがちです。

しかし、私はそうは思いません。

私には、相手によって自分を器用に変える力はありません。
当然、波長の合わない人もたくさんいます。

そんな時、私はどうするか。

簡単なことです。
ただ、そっとその場を離れます。

「ビジネスパーソンとして、それでは失格だ」と叱られるかもしれません。

しかし、そうしないと「継続」できないのです。

無理をして自分を偽り、合わない相手に合わせ続けることは、自らの杯を壊すことに等しい。
あらゆる経営活動において、「自然に続けられること」こそが最大の優先事項です。

巵言日出の精神は、「我を通さない」一方で、「無理な調和を強いない」ことでもあります。

大きな目的を共有できる場では「空」になって相手を受け入れ、どうしても共鳴できない場からは静かに立ち去る。
その潔さが、結果として「誠実さ」「正直さ」として相手の目に映り、「信頼」へと繋がります。

「小さな正義」を捨て、「あなた」の視点へ

この「自分の正しさを捨てる」という姿勢は、社内のマネジメントにおいても不可欠です。

部下を前にして、自分の「話したいこと」「聞きたいこと」だけにフォーカスして、一方的にしゃべり続けてはいませんか?

自分のロジックで相手をねじ伏せようとしても、表面上の従順が得られるだけで、心からの共鳴は生まれません。
自分の小さな正義で相手を正そうとするのは、相手の杯をひっくり返しているのと同じです。

視点を「わたし(I)」から「あなた(You)」に変えてみてください。

相手が何をしゃべりたいのか、何に苦しんでいるのかを見つけることに全神経を注ぐ。
リーダーが「空っぽの杯」となって部下の言葉を受け止めるだけで、組織のエネルギーは劇的に変わります。

人は「理解された」と感じた時、初めて自ら動く勇気を持てるからです。

自然体こそが、いちばんの戦略

「自分」にこだわらず、「小さな正しさ」を捨てる。

それは、自分を消すことではありません。
むしろ、余計な鎧を脱ぎ捨て、最も自然な状態で他者と対峙することです。

これまでの新サービス開発・新規開拓営業の経験が私に教えてくれたのは、「説得」は人を疲れさせるが、「共容」は人を勇気づけるということです。

明日からの商談、あるいは部下との面談で、意識的に「空っぽの杯」になってみてください。

自分のロジックを一度横に置き、相手の言葉で場を満たしてみる。
内向的なままでもいい、物静かなままでいい。

視点を「あなた」に変え、素のままの自分で相手を受け入れてみると、ビジネスも組織も、これまでとは違う光を放ち始めるはずです。