【只管打坐(しかんたざ)】〜没頭して、積み上げたその時間こそが最強の武器〜

どこかにある「正解」よりも、足下の「実践」
今の時代、経営のヒントは至る所に転がっています。
書店に行けば成功者の自伝や最新の経営理論が並び、ネットを開けば話題のセミナーやコンサルタントの提言が飛び込んできます。
それらを見聞きし、「なるほど、これが成功の秘訣か」と膝を打つこともあるでしょう。
しかし、いざ自分の会社で、自分の現場で実践しようとすると、驚くほどうまくいきません。
本に書いてあった通りに仕組みを作っても、セミナーで教わった通りに号令をかけても、成果は一向に上がらない。
そこで多くの経営者が
「このノウハウはうちには合わなかった」
「もっと他に、即効性のある正解があるはずだ」
と、一つのことを極めることなく、また別の「答え」を探しに、新しい旅に出てしまいます。
いくら抽象的に語っても、本当のことは見えません。
新聞やセミナーで見聞きしたことには大きなヒントが隠れているかもしれません。
でも、実際にやってみて、ひたすらやってみて、そして修正していく。
その泥臭い繰り返しのなかにこそ、ようやく気づく本当の成果があるのです。
この「ただひたすら、愚直にやり抜く」という精神の極致を、禅では「只管打坐(しかんたざ)」と呼びます。
「只管打坐」という深淵:手段がそのまま目的になる境地
「只管打坐」は、鎌倉時代に曹洞宗を開いた道元禅師が、その生涯をかけて説いた禅の核心です。
言葉を分解すると、その意味の厚みが見えてきます。
- 只管(しかん): 「ただひたすらに」「余念を交えず」
- 打(た): 「打つ(行う)」という動作を強調する助辞。意識をその一点に集中させること。
- 坐(ざ): 「坐る」。
つまり、「余計な目的意識を捨てて、ただひたすらに坐る」ということです。
多くの人は、座禅を「悟りを開くための手段」だと考えます。
しかし、道元はこれを真っ向から否定しました。
道元が説いたのは、「修証一等(しゅしょういっとう)」という、極めて逆説的な思想です。
「修」とは修行(座禅)であり、「証」とは悟り(結果)です。
通常、私たちは「修行=原因」があり、その先に「悟り=結果」があると考えます。
しかし、道元は「座禅をする姿そのものが、すでに悟りの現れ(成功)である」と説きました。
掃除をするときは、ただひたすら綺麗にすることに没頭し、
食事をつくるときは、ただひたすらに炊事に没頭する。
この何かに「没頭する」「なり切る」という姿こそが、悟りそのものなわけです。
これを経営や仕事に置き換えると、パラダイムシフトが起こります。
「成功するために働く」のではなく、「働く姿そのものが、すでに成功の体現である」と捉え直すのです。
「結果を出したい」「儲けたい」「評価されたい」という執着(余念)が頭をもたげると、人の動きは不自然になり、プロセスが疎かになります。
そうではなく、目の前の一切の雑務、一切の工程に、あたかも座禅を組むような静かな没入感をもって当たる。
この「結果を度外視した没入」こそが、逆説的に、他者が到底及ばないクオリティを生み出すのです。
「経路依存性」という名の、他者が真似できない壁
「実際にやってみて、ひたすらやってみて、そして初めて気づくことがある」
このプロセスを繰り返していくことで、やがてその組織は「独自の境地」を極めていきます。
このことは、経営学でも理論になっています。
「経路依存性のある強み」や「オペレーショナル・ケイパビリティ」と呼ばれるものです。
他社が真似しようとしてもできない力。
それは、その手法が特殊だからではありません。
手法自体はありふれたものかもしれない。
けれども、ひたすらそこに没頭して時間をかけて、ただそれだけをやってきたからこそ可能になる「組織の厚み」があるのです。
昨日今日始めた会社が、明日から同じことをしようとしても、そこには「積み上げた時間の断絶」という、途方もなく高い壁が立ちはだかります。
ひたすらやってみて、失敗して、それを現場で修正していく。
この無限のループを「只管」に繰り返してきた会社だけが持つ力。
中小企業にとっては、これこそが生存戦略の源泉であり、最強の差別化要因になります。
「フロー人間」としての自嘲、そして開眼
私自身の経験をお話ししましょう。
かつて電力会社に身を置いていた頃、私はひたすら「業務フロー」や「業務取扱」の作成に明け暮れていました。
電力会社の仕事は、公共性が極めて高く、間違いが許されません。
営業所の第一線で対応する社員が一人として迷わないように。そして、お客様に対して常に公平・公正な対応ができるように。
分かりやすくて間違いのない業務をつくる。
一見、地味で退屈に思えるようなフローの微細な調整を、それこそ「ひたすら」に続けてきました。
オランダにフローニンゲンという都市がありますが、私たちは日々、業務フローを量産する自分たちを指して、「俺たち、フロー人間(フローニンゲン)だね」と自嘲気味に笑い合っていたものです。
しかし、この「ただひたすらに業務を可視化する」という、組織の中で当たり前とされていた経験が、私の脳内に消えない「回路」を作りました。
目に見えない複雑な業務を、一筋の明快な流れへと構造化する力。
混沌とした現実の中から、論理的な矛盾を即座に見つけ出す整理のクセ。
それは、教科書を読んで身につけたスキルではなく、文字通り「只管」にフローと向き合い続けた時間の集積から生まれた、私の「肥やし」そのものでした。
当時は自嘲していたその力が、コンサルタントとなった今の私にとって、お客様を救う最大の武器になっているのです。
社長の頭の中と、現場の足元を繋ぐ「架け橋」
今、私はコンサルタントとして、多くの中小企業の業務可視化をお手伝いしています。
そこで気づくのは、多くの中小企業の社長は、本業のビジネスについては、もう「わかっている」ということです。
けれども、それが他の従業員に伝わらない。
あるいは、周辺の業務については、社長は分からず、担当者の頭の中にだけ閉じ込められている。
お互いに「見えない」のです。
ここで、かつての「フロー人間」としての経験が生きてきます。
社長の頭の中にある構想を可視化し、現場の足元にある暗黙知を言語化する。
私が行っているのは、魔法のような最新理論の提供ではありません。
ただ、その会社が長い時間をかけて積み上げてきた「只管打坐」の成果を、誰にでも見える形に翻訳し、仲立ちをする。
それだけです。
「色々と教えてくれてありがとうございます」
そう中小企業の社長から言われるのですが、何も教えていません。
社長が話したことを可視化して、第三者が分かるようにしているだけです。
他社が真似しようとすれば、いまからでは途方もなく時間と労力がかかる。
そんな「組織の力」「個人の力」が、実はどの中小企業にも眠っています。
ただ、それを「只管」に磨き続けてきたことに、当事者が気づいていないだけなのです。
今日という「座」に没頭しよう
「只管打坐」。
結果を出すことに焦り、遠くの正解を追い求めない。
正しいプロセスを追求していけば、後から静かに付いてくるのが「結果」です。
今、目の前にある、その泥臭い実務。 他社から見れば退屈で、自分たちでも当たり前だと思っているその繰り返し。
それこそが、将来、誰も真似できないあなたの会社の「強み」へと変わる種です。
学んだことを実践しながら、あなたの状況に合わせて調整していくこと。
これがいちばんの学びであり、それ自体がすでに「成功」への歩みです。
今日という一日、目の前の仕事にどれだけ「只管(ひたすら)」になれたか。
その没頭の時間の堆積こそが、あなたを、そしてあなたの会社を、誰にも届かない高みへと連れて行きます。
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