【放下著(ほうげじゃく)】捨てるから、手に入れられる

経営を蝕む「見えない慣性」
経営という終わりのない旅において、私たちは常に「新しい何か」を求めています。
新しい技術、新しい市場、新しい戦略。
しかし、多くの経営者が、新しいものを手にしようともがきながら、結局は元の場所から一歩も動けずにいる現実に直面しています。
なぜ、私たちは変わることができないのでしょうか。
その理由は、私たちが「慣性」に支配されているからです。
一度動き出した方向へそのまま進み続けようとする力、あるいは、今ある場所を離れることに強い抵抗を感じる心理。
これを行動経済学では「現状維持バイアス」と呼びます。
人間には、変化によって得られる利益よりも、失うことへの痛みを過大に評価してしまう性質があります。
この心理的な重荷を下ろさない限り、どんなに優れた戦略を学んでも、それは机上の空論に終わってしまいます。
この「見えない重荷」を投げ捨てろと説くのが、禅の究極の教え「放下著(ほうげじゃく)」です。
「放下著」の原典:何も持たぬ自分さえも捨てよ
「放下著」という言葉は、中国・唐時代の禅僧たちの鋭い対話から生まれました。
ある時、厳陽(げんよう)という修行僧が、高名な趙州(じょうしゅう)和尚のもとを訪れました。
厳陽は自信に満ちてこう言いました。
「私は長年の修行の末、一物も持たぬ(悟りの境地に至り、執着をすべて捨て去った)状態になりました。これからはどうすれば良いでしょうか」
すると趙州は、間髪入れずにこう答えたのです。
「放下著(ほうげじゃく)――それを投げ捨ててしまえ」
厳陽は驚きました。
「私はもう何も持っていないと言っているのに、何を捨てろとおっしゃるのですか」と。
趙州はさらに重ねて言いました。
「捨てられないのであれば、そのまま担いで立ち去るがいい(放下不得、則担取去)」
ここで趙州が捨てろと言ったのは、物理的な荷物ではありません。
「自分は何も持っていない」「自分は悟った」という「自負」や「こだわり」そのものです。
厳陽は「何も持っていない自分」に執着し、それを誇りに思っていました。
その微かなプライドこそが、彼を縛る最後の鎖だったのです。
経営においても同様ではないでしょうか。
「うちはこれまでこうやってきた」「このやり方で成功してきた」という過去の自負、
そして「この会社を守らなければならない」という強いこだわり。
それらすべてを一度、白紙に戻す覚悟があるか。
趙州の問いは、千年以上の時を超えて現代の経営者に突き刺さります。
ヤマト運輸が捨てた「安定」という名の重荷
この「放下著」の言葉を見て、私は、ヤマト運輸の小倉昌男氏を思い起こしました。
1970年代、当時のヤマト運輸の経営を支えていたのは、百貨店の配送業務でした。
それは世間から見れば、有名企業の看板を背負い、安定した売上が見込める仕事でした。
しかし、その実は、元請けの百貨店から運賃を買い叩かれ、配送ルートや時間までも指定される「自由のない下請け」の状態でした。
小倉氏は、こう考えたのです。
「百貨店の荷物を運び続けている限り、現場のドライバーも、営業も、経営陣も、本当の意味で誇りをもって命を懸けることはできない」
彼は、安定という名の重荷を「放下(投げ捨てる)」する決断を下します。
百貨店配送からの全面撤退です。
周囲からは「狂気の沙汰だ」と猛反対されましたが、小倉氏は退路を断ちました。
古い皮袋を捨て、空いたスペースに全エネルギーを注ぎ込んだ結果、日本を塗り替えるインフラ「宅急便」が誕生したのです。
30歳、家族の未来を背負いながら「捨てた」私の経験
ここで、私自身の個人的な「放下著」の経験をお話しさせてください。
かつて私は、世間では「優良企業」と呼ばれる、安定した非常に良い会社に勤めていました。
働きながら司法試験を志し、法律の世界に足を踏み入れたとき、その論理の面白さに、これまでにないほど強く惹かれました。
仕事と勉強を両立させ、試験でもある程度の成績が取れるようになっていきました。
しかし、そこからどうしても成績が伸びない壁に突き当たりました。
そのとき、私は悟ったのです。
「両方のわらじを履き続けている限り、本当の意味で一点突破はできない」と。
私は「捨てました」。
30歳を目前にし、妻も、そしてまだ2歳になったばかりの長男もいました。
それでも、安定した会社の地位を捨て、専業受験生になる道を選んだのです。
会社を辞める際、ある先輩からこう言われました。
「後悔するぞ」「奥さんを悲しませるぞ」
その言葉は、優しさから出た忠告だったかもしれません。
しかし今振り返れば、それは私に向けられた言葉であると同時に、変化を恐れ、「捨てられない人」が自分自身に言い聞かせている「自戒」であったようにも思うのです。
一方で、別の先輩は私を応援してくれました。
「自分が目指せなかった道を、お前は頑張ってほしい」と。
その先輩は私に一冊の本を贈ってくれました。
その本は、今でも私の人生のバイブルになっています(その本の正体については、また別の機会にお話ししましょう)。
結果として、私は司法試験に合格できませんでした。
しかし、その合否さえも、今となっては「誤差の範囲」だと確信しています。
もしあのとき、安定に固執し、会社にしがみついたまま受験を続けていたら、今の経営コンサルタントとしての私は存在していません。
あのときの「捨てる」決断。
慣性を断ち切り、現状維持バイアスを自らの意思で破壊した経験こそが、私の「放下著」であり、今のコンサルティングの根底にある「弱者の戦略」の原体験となっているのです。
人間の限界を受け入れ、優先度を再定義する
人間には、身体的な限界、時間の限界、そして「認知の限界」があります。
私たちの脳は、一度に多くのことにリソースを割けるようにはできていません。
優先度の低いもの、過去の成功体験、他人の評価、それらを抱えたままでは、新しい戦略(葡萄酒)を受け入れるスペースはないのです。
「捨てられない」という状態は、裏を返せば「何が大事かを決めていない」ということでもあります。
経営者が、自社の本来の価値(主人公としての生き方)を見定め、一点突破の戦略を完遂するためには、今握りしめているものを手放す必要があります。
手放すことで初めて、新しいものが手に入る。
これは、宇宙の法則とも言える真理です。
新しい皮袋を用意せよ
最後に、古今東西を問わぬ真理として、聖書の有名な言葉を引用します。
「新しい葡萄酒は、新しい皮袋に入れなければならない」
古い皮袋(これまでの慣習や執着)のまま、新しい葡萄酒(斬新な戦略や独創的な事業)を注げば、発酵の圧力に耐えきれず、皮袋は張り裂け、すべてが台無しになってしまいます。
今、あなたが守ろうとしているものは、本当にあなたの未来に必要なものですか?
それは、単なる「慣性」や、誰かの「自戒」に影響された執着ではありませんか?
「放下著(ほうげじゃく)」。
優先度の低いものを捨てたときに初めて、あなたの経営に、そして人生に、真に新しい命が吹き込まれるのです。
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