【本来無一物(ほんらいむいちもつ)】最大の敵である「自分」を捨てたとき、真の自由が手に入る

「学び続けること」と「捨てること」のパラドックス
経営者として歩む道は、終わりのない学習の連続です。
しかし、ここで一つの大きなパラドックスに直面します。
「学ぶ」ことと同じくらい大切なのが、学んだことをいかに「手放す(更新する)」か、ということです。
せっかく身につけた知識や経験を、ただ大切に守り続けるだけでは、時代の変化という荒波の中で、それはいつしか重い足枷に変わってしまいます。
禅の言葉「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」は、決して「これまでの努力に意味がない」と突き放しているわけではありません。
むしろ、表面的な肩書きや、その場限りの手法への執着を潔く手放すことで、その奥底に眠る「一生枯れない本質的な知恵」を手にし続けるための、慈悲深い教えだと私は捉えています。
流転するキャリアの中で見つけた「共通項」
私自身のこれまでの歩みは、決して最初から綿密に設計されたものではありませんでした。
大学では、国際政治を学びました。
米ソ冷戦が終わったあとの90年代の世界は、それまでの二極対立構造から透明性のない不確かな世界に移り変わった時代でした。
その後、電力会社に入社。
そこで任された現実は、緻密で気の遠くなるような「業務取扱い」を作成する仕事でした。
制度やルールの変更にともなって、現場で間違いなく運用される状態にするため、業務フローや通知文書を作る日々でした。
その後、司法試験への挑戦、そして物流の世界、現在のコンサルティングへと流れていきました。
一見すると、これらはバラバラに見えます。
冷静に振り返れば、90年代の国際政治も、電力会社時代の「業務取扱いの細かなルール」の内容も、当時の法律知識も、それ自体は、今の私の仕事には全く役に立ちません。
しかし、すべてが無駄だったのかといえば、答えは「NO」です。
「複雑な事象を分解し、構造化する能力」や「事実を正確に記録し、体系化する姿勢」。
こういった本質的なことは、時代や業界を飛び越え、今も鮮やかに生き続けています。
表面的な知識が陳腐化し、それを手放してきたからこそ、その底に沈殿していた本質だけが純化され、今の私の武器となっているのです。
「本来無一物」の核心:鏡など最初から存在しない
「本来無一物」
ここで、この言葉のルーツに触れておきましょう。
禅宗の第六祖、慧能(えのう)が残したこの言葉は、当時の仏教界に衝撃を与えたといいます。
有力な修行者であった神秀(じんしゅう)は、「心は鏡のようなもの。毎日一生懸命磨いて、埃がつかないようにしなければならない」と説きました。
これに対し、若き慧能はこう返したのです。
「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」 ――もともと、磨くべき鏡(実体)などどこにもないのだ。どこに埃がつくというのか。
「正しくあろう」「立派な自分を守ろう」と必死に心を磨くことすら、禅の極致から見れば一種の執着に過ぎない。
もともと私たちは空(くう)であり、何ものにも染まっていない。
この徹底した「無」の自覚こそが、私たちをあらゆる既成概念から解き放ちます。
私たちは自分の中に「積み上げてきた価値ある自分」という鏡があると思い込み、それを守ろうと躍起になります。
しかし、その鏡(自己像)こそが、時代とのズレを生む最大の要因なのです。
イーロン・マスクにみる「自己定義」からの脱却
この精神を現代で体現しているのが、イーロン・マスクです。
彼がPayPalの成功で巨万の富を得たとき、もし自分を「成功したIT起業家」だと定義したままだったら、今のスペースXもテスラもなかったでしょう。
「ITで成功したのだから、次もITで」と考えるのが、過去の自分に縛られた慣性の法則です。
しかし、彼はその定義を捨てました。
「自分はIT屋ではなく、人類を火星に送る人間だ」
既存の看板を「無一物」として手放したからこそ、全く異なる領域でさらに大きなものをつかみ取ることができたのです。
決して、「大それた挑戦をせよ」と言いたいわけではありません。
『自分はこういう人間だ』という、過去の成功に基づいた狭い定義を一度手放し、今この瞬間の世界が必要としていることに、素手で向き合う勇気を持とうということなのです。
最大の敵は、他ならぬ「あなた自身」である
こうした例から言えることは、経営における「一点突破」を阻む最大の敵は、外側にいるのではないということです。
競合でも不況でもなく、あなたの道に立ち塞がる最大の敵は、他ならぬ「あなた自身」です。
過去の自分を守ろうとする心
自分が積み上げてきたことに、拘ってしがみつく姿勢
昨日までの正解を「真理」だと言い張り、新しい学びに蓋をする自分
その「内なる敵」が、あなたの慣性を強め、未来の可能性を摘み取っています。
「自分はここまでやってきた」「自分はこの程度だ」「わが社には最先端の取組みは難しい」という自己定義という名の檻に、自分を閉じ込めないでください。
「本来無一物」とは、この内なる敵を無効化し、何にも縛られない自由な心で、いまの状況に客観的に向き合うためのメッセージである。
そのように捉えることができるのではないでしょうか。
身軽な主人公として歩き出すために
「本来無一物」とは、積み上げてきた努力を否定するものではありません。
業界や時代が変われば消えてしまう表層的な知識を捨て、どんな環境にあっても自分を支えてくれる「本質的な知恵」に立ち返ることです。
表面的なこだわりをそっと手放し、自分の中に残った「本質的な力」を信じる。
何も持っていない「無一物」の境地に立ったとき、あなたは初めて、自分という最大の敵を乗り越え、今この瞬間を生きる「真の主人公」になれるはずです。
慣性を捨て、本質を磨く。
その身軽な背中にこそ、時代という強い追い風が吹くことを、私は確信しています。
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